フリーランスとマルチ商法はよく似てる、と思った話
暇なのでブログを読み漁って退屈な時間を凌いでいる。
その中でよく目にするのが「フリーランス」という言葉である。
今回はフリーランスについて思ったことを書く。
第一印象は「かっこいい」
色眼鏡をかけずに見れば第一印象は「かっこいい」だった。
組織に頼らずその身を立てる。
実にかっこいいじゃないか。
だが僕とて社会に身置いた経験のあるいい年した大人である。
表面的な自由など虚像であり、
その実会社員よりずっと「生か死か」の世界の生き物だとすぐに分かった。
そりゃあそうだ。
誰も自分を保障してくれない。
社会的信用もゼロなのだから。
(厳密に言えばゼロから始まる。実績を積み重ねて信用を作ればいい。)
あれ? フリーランスってマルチ商法に似てるな
僕はかの有名なア○ウェイの勧誘を受けたことがある。
集会にも顔を出したことがあるし、チームミーティングなんかにも参加した。
恥を忍んで書くが「片足をつっこんだ」ことがある。
マルチ商法も表面的には、誰にも縛られない自由な生き方として眼前に迫ってくる。
理不尽さを味わい始めた若い会社員などはコロっといく。
僕も学生時代の友人から「現状に不満はないか」というお決まりの口説き文句を以て、
かの集会に連れて行かれた。
集会には学生風の男女、うだつの上がらないおっさん、その辺の主婦、
サブカル系若者などがちょっと家賃の高そうなマンションの一室に集まっていた。
30代にして巨額の富を得たイケメンが、壇上で異様な雰囲気を漂わせていた。
異様なイケメンは言う。
「夢があるなら今行動しよう」と。
会場は熱気に包まれる。
のぼせあがっていた僕はすっかり虜になり、
集会の帰路を友人と盛り上がっていた。
その後は数か月ほど彼らのお仲間と行動を共にするのだが、これはまたの機会に書く。
本題に戻る。
フリーランス教(あえて~教と書く)とマルチ教は共通点がある。
一部のカリスマに人が集まり仲間を増やしていく点だ。
そして当然ながら成功するのもそのごく一部という点も同じである。
所詮弱肉強食である。
当のフリーランス教、マルチ教の人間はここが抜け落ちている。
実力もないのに食っていけるはずがない。
会社には弱者の席もある
僕は自分を弱者だと思う。
特別な技術はないし、バリバリ売る営業力もない。
喋りたがりの人間の相手をするのはちょっと得意だけど、だたそれだけだ。
弱者な僕は楽して生きたいから会社員という道を選ぶ。
多少の理不尽さは弱者である代償として甘んじなければならない。
幸い会社というものは弱者にも一応席があるものだ。
そしてそれなりに仕事をこなせば一定の達成感を得ることもできる。
たまに同僚とメシや酒に興じるのも悪くない。
とはいえ今はまだ無職。
さっさと自分の席を取りに行かなければならない。